グリーンハウス



クラスメイトを殴って一週間の謹慎を言い渡された。

厳格な全寮制の学校だから反省室にでも
入れられるのかと思ったけれど、意外にも謹慎先は学校横の花屋だった。

狭い店先の間口に立っていると、奥から花束を抱えながら僕を迎える声がした。


「やぁ、君かい。昨日高等部から連絡があったよ。よくいらっしゃいました」


両手いっぱいの花束を、とまどいながら僕は受け取った。

雑多な花の香りが 束になるとひとつ
になってとてもいい匂いがした。

「えっ・・・あの・・どうして僕に・・・」

「これから一週間共に過ごす君へ。少しばかり歓迎のしるし」

「でも・・・もらっても、どうしたいらいいか・・・」

「だから少しばかりって言っただろう。はい、そこのバケツに入れておいて」


何だ、使われただけか・・・。からかわれたと思うと少し腹が立った。


手招きされて通された奥の部屋で、テーブルを挟みながら向き合う。

「よろしく。本条志信(ほんじょう しのぶ) 年も言おうか、27歳」

人懐こい笑顔で花屋の主人は言った。

「あの・・白瀬守(しらせ まもる)高等部2年です。よろしくお願いします。・・本条さん」

「ん〜・・・、身分は教師なんだけど」

そしてここでの生活はあくまで学校教育の一環であり・・・というかこの花屋自体が学校の一部だった。

「ここはね、本来は生徒指導室なんだよ。花屋は僕の趣味」

「趣味って、趣味の域を超えてます。教師が商売なんて・・・規則違反じゃないですか」

さっきからかわれたので、あまりいい印象はなかった。


「君、ここが生徒指導室って知ってた?」

本条先生が真顔で聞く。

「いえ・・・ただの花屋だと思ってました」

「そうだろう、それでいい。僕は教師として校長の信頼を得ているし、ついでにPTAにも受けがいいんだ。
その花束もPTAの要請だよ」


人懐こい笑顔の先生は、童顔なのか実際の年齢よりも若く見える。

表の狭い間口から奥へ入る。

奥の部屋は10畳程のひと間だけで、打ちっぱなしのコンクリート
の床にテーブルと椅子。

剪定したあとの花の茎が散らばっている。


驚いたのは両サイドを囲むように一面のガラスケース。中はたくさんの花々が活けられていた。

部屋の扉を開けると店の裏側に出る。

そこから広がる風景はどこまでも遠く、弧を描いたよう
な裏庭から道が行く筋も方向を変えて延びている。

それも広大な学校の敷地の一部だ。

その中の、本条先生の住む宿舎に通じる道を行く。

三階建てで学校の寮と同じ造りだった。

一階
に食堂があって、本条先生は独身で二階に住んでいる。

僕の部屋三階。要するに指導を言い渡された生徒が謹慎期間中過ごすところだ。


「ここが君の部屋だ。使い勝手はもうわかってるよね」

先生の案内で通された部屋は8畳のフローリングにベッドとクローゼット、TVに机、エアコンが完備されている。

隣のドアを開けると個人用のサニタリールームがある。学校の寮と同じ設備だった。

一階の食堂でこれからの生活についての話を聞く。

カウンセリング室もあるけど、たいていは食
堂を使うところも学校の寮と同じだ。

「明日から午前中は自習。勉強は僕が見るからね。午後から花屋の手伝い。夜は自由に過ごしていいよ。
食事は賄のおばちゃんが来て朝と夜が7時、昼0時、食堂で。以上」


「・・・以上ですか?」

とても謹慎中の生活とは思えない。これじゃ学校にいる方がよっぽど厳しい。

不思議そうに聞き返した僕の言葉に対して本条先生が問う。

「君は謹慎中の生活と聞いてどんなことを想像して来たんだい?」

「えっ・・・ずっと部屋に閉じこもって勉強して、反省文書いたり・・・」

「書いたり?」

「それから・・・何かお説教とか・・・あとは・・・わかりません。」

「反省した気分にはなりそうだね」

先生は面白そうにそう言うと、荷物の整理でもしながらきょうはゆっくりどうぞと食堂を出て行った。



部屋に帰ってボストンバッグを机の横に放り投げるように置くと荷物の整理は終わりだ。

部屋の窓から裏庭が見える。放射状に延びた道のいくつかをたどると、ビニールハウスのような建物に行き着く。

たぶん温室だ。あちらこちらに点在している。

11月だというのに季節を無視したかのような花々が、あのガラスケースの中に活けられていたのがうなずける。

まだ午後三時。これから何をしようか。ベッドに腰掛ける。

ベッドサイドに飾られた白い花に目が行く。あれだけ勉強していても花の名前なんて何も知らない。

毎日毎日規則と勉強に追われる学校生活。

ここは学校と同じ設備同じ敷地なのに、違う世界
のような気がする。


・・・・・・きっと花のせいだ。







翌日から決められた日課通りの日々が始まった。

午前中は自習をするも、勉強を見てくれるはずの本条先生は一度も顔を出さない。

午後から花屋の手伝いをする。

花屋といっても売買はしていないからと、先生は言った。

「だから趣味って言っただろ。店はね雰囲気」

でも店先に飾ってある花は確実になくなっている。

先生が店先に立つのは花を売るためじゃなくて、花好きの人に自由に持って行ってもらうためだと言う。

「街中でなくて良かったですね。営業妨害で訴えられます」

君って覚めた見方するよね、その通りだけど。と、先生は苦笑いをした。

それでもお金を置いていく人もいて、そのお金は学校への寄付として処理するとのことだった。

僕は謹慎中なので店先には出られない。

規則は奥の部屋までなのでガラスケースのガラスを磨いたり、花の水をかえたりする。

どちらも
けっこうな重労働だ。

点在するビニールハウスはやはり温室で、先生に連れられて肥料とか水やりとか温度とか細かな説明を受ける。

花の世話がこれほど大変で疲れるとは思いもしなかった。

「慣れたらそうでもないよ。温室なんて今はほとんどマイコン操作だからね」

そう言いながらも先生は少し腰をかがめながら、ひとコーナーずつ丹念に花びらや茎、葉の状態を確認していた。

天井の高さは二階建てほどで、20畳くらいのスペースのこの温室にはランだけが栽培されていた。

まるで見た感じが同じランの仲間だとは思えないような花もたくさんあった。


紫の小さな花弁の集まりが目を引いた。


「可愛いだろう、セレスティス。香りが強すぎないのがまたいいんだ。そこのグループがシンピジューム。
ランの中では一番ポピュラーなだけあって色も種類も豊富。あっちが胡蝶蘭。葉の形
が全然違うんだよ。
真直ぐ茎が伸びて丸い葉が下のほうに・・・」



花の話をする時、先生は本当に嬉しそうな顔をする。

花に囲まれて時を過ごす。静かな時は繰り返しあの時のことを思い出さす。


あの時―


殴った相手の江川達彦(えがわ たつひこ)は中等部からずっと一緒で、唯一の友達と思っていた・・・。


守のとこ両親仲悪くてさ、アイツこの学校に捨てられたようなもの・・・


忘れ物を取りに返った放課後の教室から聞こえてきた声。達彦だった。そしていつもの3〜4人のグループ。

他の奴らなら無視していたかも知れない。いや他の奴らはそんなことは言わな
い。

知らないからだ。

達彦だけに少し話していたから。


周りの奴らが僕に気付いて、達彦に小突いて教えた。

僕は無言で傍まで行き、達彦の振り向きざ
まに顔面を殴った。

頭に血が上っていたので、どれだけの力でどんなふうに殴ったのか全く覚えていなかった。

次に見たのは口を押さえている達彦だった。

指の間から真っ赤な血がどくどく流れて、自
分がしたことなのにその後翌日まで右手の指が開かなかった。

固く小刻みに震えて握り続ける。初めて人を殴った感触に右手が麻痺した。

机の上に座っていた達彦はバランスを崩して机の角でしたたかに口を打ったのだ。

後で前歯
が2本折れていたと聞かされた。






謹慎生活最後の夜は、本条先生にバラを見に行こうと誘われた。

いくつかあるうちの一番大きな温室がバラ園だった。

バラの中を歩きながら、先生は今回のことについて聞いてきた。

「ここの生活はどうだった?明日からまた学校生活に戻るけど、大丈夫かい」

「はい。大丈夫です。ここの生活はとても静かでゆっくりで・・・考える時間もたくさんあったし・・・、
なんだかこういうのが本来の謹慎生活なのかなって思いました」


「そう、しっかり反省出来たってことだね」

「・・・はい」

「それじゃあ、江川君とのことはどう考えてるの?」

「どうって・・・ちゃんと謝ります・・・許しては貰えないだろうけど」


一歩先を歩いていた先生が立ち止まって振り向いた。


「許して貰えなければ、江川君とはもう友達でいられなくなるね」


人懐こい笑顔の先生から、笑顔が消えていく。


「仕方ないです。僕が悪いから・・・」


笑顔の消えた先生は、教師としての威圧感で僕の前に立つ。


そして・・・


「前に言っただろう、それは反省した気分にすぎないと」

バキッ!


いきなり先生は素手でバラの花を手折った。そして僕に突きつける。


「ブルームーン」


「・・・・・・・・・」



「白瀬君、ズボンと下着を下げてそこに手をついてごらん」


地面を指しながらまた先生はバラを手折る、根元あたりから。


バキッ!


「グラハムトーマス」


教師に対して口答えを許さないこの雰囲気は・・・学校と同じだ。

学校では違反者は差し棒で手の平を打たれ、時に尻を打たれる。

まさか・・・僕は後ずさりをするのだけど、バラの中からは抜け出せない。


「先生・・・いやだ・・・」


精一杯の僕の反発も恐れも、先生はそ知らぬ顔でやり過ごす。


「相手にあれだけの怪我を負わせながら、なぜ君の謹慎が一週間で済んだのか。
君は知ってい
るはずだよね」


―達彦が・・・かばってくれたんだ。自分のせいだと・・・―


「なのにどうして君は自分に逃げる?一度くらい、痛い思いをしてごらん」


バキッ!


「ビクトルユーゴ。・・・力ずくでされたいのかい」


トゲが先生の手の平に食い込んでいる。それでも先生はバラを握り締める。


握り締めた三本を束にして、差し棒のようにしなやかに曲げてみせる。

逃げられない・・・僕はズボンと下着を下ろして地面に手をついた。

むせ返るバラの匂いが僕と先生を包む。


四つん這いになったと同時に、痛烈な痛みを尻に感じた。


恥ずかしさなど一瞬にして消えてしまうほどの。


ビシッ!!ビシッ!!


「いっ・・たい・・、先生・・トゲが・・・あっう・・・」


普通に打たれる痛さに加えて、トゲで引っかかれるような痛さがたまらない。


ビシッ!ビシッ!ビシッ!ビシッ!


短く早いリズムで振り下ろされるバラの鞭。


打たれるほどに熱く、幾筋か流れる生暖かい感触が耐えられない。


血だ。でも・・・達彦が流した血はもっとどくどくと流れていた。

僕はわかっていたんだ。振り向きざま達彦が


―守・・ちが・・・―


違うと、言おうとしたことを。


本当は両親の離婚を聞かされてやり場の無い怒りを達彦に向けただけだ。

気楽に学校生活を楽しむ達彦に。


「先生・・もうやめて・・・。達彦にはちゃんと話し・・・うぁぁっ!」

ビシーッ!!

花びらが目の前に舞い落ちる。

「どう話すの?」

先生の問いかけに、僕は肩で大きく息をつきながら答える

打たれる痛みの前では隠せなかった、自分の心の奥底の真実。


「・・・逃げないで自分の気持ちを素直に・・・達彦とは友達でいたいから」


「まずそこからだね。窮屈で勉強ばかりが学校生活でもないよ」

足元の花びらを拾らいながら、先生は僕の前に来て言った。

「優等生はお仕置きも一回で済む」

終わったんだと思うと急にこの姿が恥ずかしくなる。

体を起こしてズボンと 下着を整えようとし
たら、先生に止められた。

「ちょっと待って。お尻にトゲが刺さってるよ。血も出ちゃって手当てしてあげるから。
でも、その
前に僕の手のトゲを抜いてからね」

先生の手の平もトゲで血だらけだった。

「白瀬君、君の部屋に飾ってあった花の名前知ってる?」

先生は自分の手の平のトゲを抜きながら、世間話でもするかのように僕に聞いてくる。

「いえ・・・」

「マリーゴールド。黄色とかオレンジは多いけど白色は珍しいんだよ。花言葉はね、嫉妬、悲哀・・・」

先生には、わかっていたんだ。

まるで自分がここへ来た理由そのものだった。

だけど・・・


「あの・・・わかりましたから、先生・・・早く!!」


温室の夜間照明灯の光が僕の姿を照らす。


この姿のままでいることは、打たれている時よりも苦痛かも知れない。

「あー、はいはい」

先生は用意よろしく、消毒液やらウェットティシュを持ってまた僕の・・・後ろに廻った。

「でね・・・さっきの続きだけどもうひとつあるんだよ」

「・・・っ!」

どれだけトゲが食い込んでいるんだろう。ひとつひとつ抜かれて血を拭かれる。

吹き付けられた消毒液が染みる。

「先生、趣味悪いです・・・」

「そうかい、だけど反省は出来ただろ。OK、もういいよ」

最後にパチンと先生の平手が僕のお尻を叩いた。

「イテッ・・・」

そう言ったのは先生の方だった。


僕は恥ずかしくて、大急ぎで下着とズボンを整えた。

立ち上がった僕を待っていたかのように先生は言った。


「希望」


僕は先生の胸に顔をうずめた。

恥ずかしさや痛さではない熱い心の高ぶりが、涙となってしば
らく顔を上げられなかった。






温室の夜間照明灯の光を落とす。

スイッチをひとつひとつ切りながら、先生は思いもよらないことを言う。

「白瀬君ならいいかも知れないな。ここで僕の手伝いをしてくれない?
君、部屋の花を枯らさな
かっただろう。けっこうみんな枯らしちゃうんだよね」

手の痛い先生の代わりに温室の鍵を閉める。

「嫌です。花は嫌いじゃないけど、先生の趣味の悪いのが直らない限りは」

ここに来た生徒は誰もここのことを言わない。僕も・・・言えない。

でもここに来た生徒はみんな立ち直って学校に戻って行くと、先生は言う。


「フフフ・・・花の魔力かな」


先生は少年のような笑顔でズボンのポケットからバラの花びらを取り出して、傷だらけの手の平にのせた。

その手を頭上にかざす。


花びらが風に吹かれて散った・・・紫・・黄・・赤・・・。


僕を打ったバラの花びらだった。







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